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古銭の種類を紹介しますvol.1

公開日:2021.11.17 更新日:2024.4.4
古銭の種類を紹介しますvol.1

古銭の種類は沢山ありますので、その価値について分かりやすく紹介します。一口に古銭と言っても、奈良時代のものから戦中に使われていた軍票まで様々な種類があります。また、日本だけでなく、海外の古銭もありますので、数千種類はくだらないでしょう。引っ越しや建て替えの際に、タンスの奥から見たことが無い硬貨や紙幣が出てくることがあり、どうしていいか分からないことも。ここからは古銭の種類や作られた時代背景などを紹介していきますので、保管や売却の参考にして下さい。

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穴銭とはどんな種類の古銭?

穴銭とは真ん中に穴の開いた硬貨のことで、代表的な銭貨は和同開珎や寛永通宝

寛永通宝の写真

社会や日本史の教科書にも出てくる和同開珎や寛永通宝も穴銭という事になります。その歴史は古く、最初に登場したのは奈良時代(西暦708年)とされています。当時の朝廷が貨幣制度を整える目的と平城京遷都による経費が必要だったために、唐の硬貨を真似て作ったとされています。

和同開珎を含めた12種類の穴銭が皇朝十二銭と言われています。平安時代の終わりには朝廷の権威が失墜したために、皇朝十二銭にかわり中国の穴銭である宋銭が用いられるようになりました。

次に穴銭が使われるようになったのが、安土桃山時代です。戦国時代も終わりに向かい、地域間で物が流通するようになると、永楽通宝や文禄通宝が使われるようになりました。この頃の古銭は希少価値が高く、美品であれば高価な金額で取引されています。

その後、徳川幕府によって全国的に通貨が統一すると穴銭の流通量が一気に増し、広く庶民のあいだで使われるようになりました。この頃の代表的な通貨としては、寛永通宝や小判型の天保通宝があります。琉球では本土とは違う独自の銭貨が流通しており、同時期の幕府や朝廷の穴銭と比べると、高値で取引されているものもあります。

古紙幣とはどんな種類の古銭?

古紙幣とは現行で使用できない種類のお札。ルーツは江戸時代の約束手形

古紙幣の写真

この古銭で現存する最古のものは1610年に伊勢の国の山田という地域で発行された山田羽書(やまだはがき)と言われています。

この紙幣は流通する物ではなく、預かり証の役割を果たしていました。当時は穴銭や金銀が貨幣とされていましたので、現代でいう紙幣はまだ流通していません。

江戸時代に幕府から無理難題を押し付けられ、財政難になった各藩が、藩札と言う紙幣を発行し始めます。これは約束手形のようなもので、期日が来ればお金と交換できる仕組みになっていました。

現在のような紙幣が登場し始めたのは明治の中期で、明治30年には銀行発行の紙幣のみが庶民のあいだで使われ始めたようです。

この頃の代表的な古紙幣として、明治通宝や旧国立銀行券、改造紙幣などがあります。ちなみに明治通宝には100円から10銭まであるのですが、希少とされている100円札と50円札の買い取り金額は数千万円とも言われています。

その後は甲号兌換銀行券や改造兌換銀行券など様々な種類の紙幣が発行されています。戦時中に占領地で使用されていた軍用手票も広い意味では、古紙幣と考えることが出来ます。それらの中にはマニアの間で高額取引されている古紙幣もありますので、発見した場合は詳しい方に鑑定してもらう事をお勧めします。

古金銀とはどんな種類の古銭?

古金銀とは金や銀を鋳造して作製された現在でも大人気の貨幣です

一分銀の絵

この種類の古銭は江戸時代中期から明治時代にかけて流通した貨幣で、大きく分けて金で作られたものと、銀でつくられたものの二種類があります。

まず金で作られているのが安政二分金や天保二朱金、元禄一分金などがあります。ちなみに分や朱は単位のことで、分は一両の4分の1、朱は16分の一です。現在の貨幣価値に直すと一分金は約20,000円、一朱金は約5,000円と言われています。銀で作られている貨幣は、安政一分銀や天保一分銀などがあります。

この貨幣は時代劇などでも頻繁に登場していますので、見たことがある方は多いでしょう。銀の貨幣の中には重さで取引されていた種類もあり、元文片面大黒豆板銀や安政丁銀のように四角い形をしていない古銭もあります。徳川幕府が発行を指示したもの以外にも地方によって独自で製造された二分金などがあります。

古金銀の中でも一分金や二分金は非常に高価なため、関東の上級武士の間でしか流通せず、そのほかの地域では銀貨や銀の重さで物のやり取りがされていました。

また時代によっても金や銀の配合量は変化しており、粗悪な貨幣も多く流通していたようです。明治7年(1874年)に正式に通用停止になり、以降は製造されていません。これらの古金銀は現在でもコレクターの間で取引されていますが、時代や保存状態、希少性によって大きく価格が異なります。

大判とはどんな種類の古銭?

大判とは流通させる目的ではなく恩賞や贈答品を目的とした古銭です

2枚の大判の絵

この古銭は豊臣秀吉の命により彫金師の後藤家が製造したものが最初とされています。お城に併設されたミュージアムの中で、展示されている大判を見た方もいらっしゃると思います。四方に刻印がされており、中央に後藤家の墨書きがされています。気になる文字の中身ですが『拾両後藤』と書かれています。これは大判の価値を後藤家が保障しますという意味です。

大判は約10両の価値があるとされているのですが、大きさが15㎝前後ありますので、普段の支払いに使う事はなかったようで、大口の支払いや恩賞の際に下賜されていました。

なお、当時は追加料金を支払うと裏面に文字を書いてくれるサービスがあったと伝えられています。

代表的な大判としては、天正大判や慶長大判などがあります。徳川家康によって大判を基に流通する貨幣として小判が作られました。

一口に大判と言っても様々な種類が存在します。例えば裏面に「サ、マ」と刻印されているサマ判や「田、金、孫、ま、さ」のどれか一字が刻印されている一ツ極印、墨書きが笹のような文字になっている笹書大判などです。それによって価値も様々で、中には数千万円する大判も。古銭の中でも人気の高い大判には、多くのまがい物がありますので、購入する際は信用のおける業者にお願いしましょう。

古銭の種類の情報まとめvol.1

古銭の種類に関連する情報のまとめとアドバイスをお伝えします!

様々な種類の古銭の写真

ここまでこの件に関する様々な情報をお伝えしてきましたが、最後にアドバイスも兼ねておさらいします。

まず家の中で古銭を見つけた場合は、とんでもない価値があるかもしれませんので、廃棄せず専門の業者に鑑定を依頼しましょう。

一方で購入される方は贋作が非常に多いので、お得だからと飛びつかないように。

いずれにしても古銭は新たに製作することは出来ませんので丁寧に保管して下さい。

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